国立ベトナム歴史博物館

Bao Tang Lich Su Viet Nam

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建築好き、歴史好き、アンティーク好きはこちらに集合!ベトナムの歴史がわるっと分かる、黄色い外観の博物館。

こんにちは、ベトナムナビです!フランス統治時代の建物が今も多く残るハノイの街ですが、そんな中で一種独特の雰囲気を持っている建物が、オペラハウス裏手の方にあります。それは、国立ベトナム歴史博物館。
中に展示されている品々と同様、この建物自体も歴史の証人。今回は、このベトナム歴史博物館を訪れます!

国立ベトナム歴史博物館への行き方

国立ベトナム歴史博物館は、フランス統治時代から残る建物の中でももっとも有名なオペラハウスの裏手にあります。オペラハウスの向かって左側にある細い道をまっすぐ行くと、濃い黄色の壁と鉄柵で囲まれた建物が見えてきますが、それが今回目指す博物館です。
オペラハウスのすぐ左横にある細い道へ渡ります

オペラハウスのすぐ左横にある細い道へ渡ります

鉄柵に沿ってまっすぐ進みます

鉄柵に沿ってまっすぐ進みます

二つ目の丁字路に出たところで、向こうに黄色い壁と黒い鉄柵が見えてきます。

二つ目の丁字路に出たところで、向こうに黄色い壁と黒い鉄柵が見えてきます。

丁字路を渡って10mほどまっすぐ行くと、右手に入口があります。

丁字路を渡って10mほどまっすぐ行くと、右手に入口があります。

まずは、建物の歴史から。

元々この場所にはフランス領時間および領事公館がありました。1910年にフランス極東学院がサイゴン(現ホーチミン市)からハノイへ移ってきたのをきっかけに、「フランス極東学院博物館」となり、初代院長のルイ・フィノーの名にちなんで「ルイ・フィノー博物館」と呼ばれていました。
現在ある、この八角形の屋根が印象的な建物は、フランス人建築家・エブラールによる設計で、1932年完成。
ベトナムの伝統建築様式とフランスの西洋式建築様式が融合した、いわゆるインドシナ様式建築の第1号で、ハノイで最も美しい建築物の一つと言われています。
そう、この建物は、建築マニアにとっても垂涎の建築物なのです!

いざ、館内へ!

では、チケットを購入して中に入ります。現在、博物館の管理システムが変更中である関係で、チケット代金2万ドンを支払うと、1万ドンのチケットが2枚渡されますが、これはあくまでも1人分のチケットです。
一歩足を踏み入れると、高い吹き抜けが。ナビはその美しさに、思わずシャッターを切りつづけました。シャンデリアの電気がついていなかったことが少し残念でしたが…。
博物館内部は、原始・古代・北属期(中国の支配下に置かれた時代)・独立王朝時代・フランス統治時代・独立後、のそれぞれの時代に分かれており、1階が原始時代から独立王朝である陳朝(1225年~1400年)まで、2階が胡朝(1400年~1406年)以降についての展示になっています。
チケットとパンフレット(英語)

チケットとパンフレット(英語)

一階のルートマップ

一階のルートマップ

二階のルートマップ

二階のルートマップ

辰年の企画展示―Rong

では、展示品を見て行きましょう!ルートマップからは外れますが、まずは2012年が辰年であることにちなんで、龍を象ったものを集めた企画コーナーから。赤文字で書かれている"Rong”とは「龍」の意。龍はハノイの象徴でもあるので、この企画展、規模は小さいながら気合いが入っています。
勇壮な印象の双開きの扉

勇壮な印象の双開きの扉

持ち手が龍の姿になっている金印は、ぞれぞれ19世紀のもの

持ち手が龍の姿になっている金印は、ぞれぞれ19世紀のもの

彫りの見事な銀製の焼却器

彫りの見事な銀製の焼却器

原始時代

それでは、原始時代から。こちらは旧石器時代および新石器時代の展示。
ベトナムでは、中国国境の街・ランソン省にあるタムクエ洞窟の、30~40万年前の地層から、最古の人類の歯が発掘され、中部タインホア省などで打製石器や剥片石器が発見されています。旧石器時代は移動を繰り返していましたが、今から1万~4000年ほど前になると、磨製石器や土器、鋤や鍬などの使用が始まり、農耕や畜産などの生産活動が安定すると定住を始めたと見られています。

ベトナムの古代史を知る

では、古代以降の展示物を見て行きます。紀元前8~7世紀頃、北部と北中部にある大河川のデルタ地域に大きな部落がいくつか形成されるようになり、同時に水稲稲作農業が始まっていました。そうした中で、洪水から収穫を守るために指導者が必要となり、そうしてできた国が文朗(ヴァンラン)国だと言われています(ただし、伝説上の国)。その後、当時の秦(現在の中国)が領土拡大のため南方へ進出。文朗の北部まで近づいてくると、住民との戦いが勃発。6年後、秦は退却しますが、この時先頭になって戦ったトゥク・ファンが文朗の王に譲位を迫り、新しい国が誕生。これがコー・ロアで、東南アジアで現存する最古且つ最大の城郭都市となっています。
紀元前4世紀以降、ベトナム北部では青銅器を使った祭器の生産が盛んでした。これをドンソン文化といいますが、こちらの出土品も数多く発見されています。

中国による支配と、長期政権の誕生

紀元前12世紀にはいると、ベトナムは中国の支配下に置かれます。1000年もの間、時に反旗を翻し、王朝と呼ばれるものやあるいは特別な位を与えられる者もありましたが、しかし完全な独立を勝ち取ることは叶いませんでした。
1009年になってようやく、李公蘊(リーコンウアン、李太祖=リーターイトーとも)によって長期的政権が誕生します。このリーコンウアンこそ、現在のハノイに都を遷した人物で、当時のハノイはタンロン(=昇竜)と呼ばれたのをご存知の方も多いのでは?
中国の支配下にあった時代の展示品

中国の支配下にあった時代の展示品

ハザン省から出土した銅鼓

ハザン省から出土した銅鼓

李朝時代のお守り。うん、魔物じゃなくても逃げ出したくなる気味の悪さ

李朝時代のお守り。うん、魔物じゃなくても逃げ出したくなる気味の悪さ

白藤江の戦い(1228年)

さて、そろそろ歴史の勉強に飽きてきたなあ、展示物も言ってしまえば「古いものだねー」で済ませてしまえるようなものだし、と思ったところにどーん!と目に飛び込んできたのは何とも大きな絵。これ、ほんとうに大きいんです。
こちらは李朝を倒し政権を勝ち取った陳朝の時代に起こった、ベトナム軍と元軍の戦い、いわゆる白藤江の戦い(1228年、ベトナム語ではバクダンの戦い)の様子を描いたもの。陳朝はこの戦いに勝利。そのほか、陳朝では漢字を基につくられたチュノムや、ベトナムの史記『大越史記』の編纂が行われるなど、歴史的に意味の大きい時代のひとつです。

続いて、二階へご案内!

ここまでが1階の展示物。では、いざ2階へ!

チャンパの遺物

階段を登って左手には、ベトナム中部沿海地方に栄えたチャンパ王国の史跡が展示されています。中国文明を受容した北部ベトナムに対し、こちらはインド文明を受容。現代に残されている彫像は丸みのあるラインをしており、カンボジアのアンコールワットなどで見られるものと相似しています。

巨大な亀発見!

続いて右手の方へ。おお、文廟で見たような亀が!ただし、あちらが科挙試験の合格者の名を刻んだものであるのに対し、こちらは中国の明を打ち破ったレ・ロイ王の功績を讃える碑文です。レ・ロイ王はその昔、現在のホアンキエム湖で、神の使いである大亀に宝剣を還したというあの伝説のエピソードを持つ王。それにしても何とも得意げな顔。「えっへん!」って感じです。背中に乗せているものがいかに重要なものかをアピールしているようなその顔。なんとも愛嬌のある…。

美しい展示品の数々

ではさくさく展示物を見て行きます。15世紀以降のものということで、細かい部分まできれいに残っているものが多いです。ナビも見ていて、欲しいものがいくつか…もちろん、手に入りませんが。

最後の王朝の、華やかな遺物

時代は19世紀に入ります。1802年に成立した阮朝は、その支配地域が現在のベトナムとほぼ同じ。現在のベトナムの基礎を築いたともいえるこの時代は、フランスによる統治、日本軍の進駐、1945年にベトナム帝国としてフランスからの独立を宣言するも、第二次世界大戦の日本軍の敗退によって起こった革命で終焉を迎えたという激動の時代でした。初期の阮朝では中国の様式が採用されたため、当時のものにも、その影響が色濃く見てとれます。
背もたれに龍が彫られた椅子

背もたれに龍が彫られた椅子

色鮮やかな食器たち

色鮮やかな食器たち

王族の衣服や、皇帝の勅書

王族の衣服や、皇帝の勅書

仏領インドシナ時代

1880年代にベトナムはフランスによって保護国化され、のちにフランス領インドシナ連邦の成立と共に正式に植民地化されました。これをきっかけに徐々に広まっていったのが現在のベトナム語で使用されている、アルファベットを使用した文字・クオック・グーです。それまでは漢文が主体だった展示物に、ここへきて街中で見かける文字が混じって来ます。
1900年代には民族運動の気運が高まり、1917年のロシア革命によってソビエト連邦が成立すると、共産主義組織であるコミンテルンがベトナムにおける植民地解放を支持。1930年にはインドシナ共産党が結成され、独立運動において主導的な役割を持ちます。
フランス統治時代初期の遺物

フランス統治時代初期の遺物

クオック・グーで書かれた丸い看板は、酒類販売権の認定証

クオック・グーで書かれた丸い看板は、酒類販売権の認定証

写真右手奥は民族運動家たちの肖像

写真右手奥は民族運動家たちの肖像

独立国家・「ベトナム」の誕生へ

1939年にヨーロッパで第二次世界大戦が起こり、1940年6月22日にフランスが降伏すると、同年9月には日本軍がフランス領インドシナに進駐。これ以降ベトナムはフランスと日本による二重支配下に置かれます。その後、1945年3月に阮朝最後の皇帝・バオ・ダイ帝がベトナム帝国として独立を宣言したものの、同年8月に日本軍が降伏すると、インドシナ共産党の全国大会が開かれ、総蜂起を決議。ベトナム民族解放委員会を設立し、ホー・チ・ミンを主席に選出します。ホー主席が全国民に書簡で総決起を呼びかけると、 その3日後にベトナム八月革命が勃発。バオ・ダイ帝は退位を宣言し、3日後の9月2日には、ホー・チ・ミンは臨時政府を代表してベトナム独立宣言を読み上げ、ベトナム民主共和国の誕生を宣言したのです。
その日、バーディン広場には多くの市民が集まり、ホー主席の声に耳を傾けた

その日、バーディン広場には多くの市民が集まり、ホー主席の声に耳を傾けた

ホー主席が読み上げた独立宣言

ホー主席が読み上げた独立宣言

現在のベトナム国旗は、1945年にホー主席によって使用が提案されたもの

現在のベトナム国旗は、1945年にホー主席によって使用が提案されたもの

以上で、館内の展示品は終わり。みなさんご存知のように、この独立の後、ベトナムが南北に分かれて戦争になるのですが、ホー主席の輝かしい功績で展示を終えたいという愛国心からなのか、それともある意味で醜い歴史であるあの戦争にあえて触れないようにしているのか、それはもう憶測の域を出ませんが、とにかくあの世界中が注目した戦争については一切触れられていません。

国立ベトナム歴史博物館、いかがでしたか?ちなみにこちら、館内の見学は16:30までですが、閉館時間でも裏庭の見学は可能です。裏庭にも18~19世紀の遺跡がとても自然に展示されています。また、裏庭から見る博物館の建物の表情もまた素晴らしい!たとえば歴史に興味がなくても、この建物を見るだけでも訪れる価値があります。あなたもこの美しい博物館へ、ぜひ!以上、ベトナムナビでした。

記事登録日:2012-01-22

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スポット登録日:2012-01-30

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